旧帝大院→バリキャリ→主婦→個人事業主の歩み

これまでの歩み 個人事業主になろう

今日は自己紹介的な記事として、自分のキャリアについて棚卸ししてみようと思います。自分と似た人の参考になると嬉しいです。

何が言いたいかというと、いい大学出ていたり会社員としての能力は高かったりしても、個人事業主として働くのは別能力が必要。でも大丈夫!ということです。

現在とこれまで

現在は個人事業主として、コーチングの提供や研修講師の仕事をしています。

旧帝大のとある大学に進学し、そのまま同じ大学の大学院に進学。会社員としては法人営業とコンサルの仕事をしていました。退職する年の年収は1,300万円ほどでした。

決められた勉強ができること、与えられた仕事ができることと、自分でお金を稼いでいけることって全っ然違うんですよね。 なので、個人事業主として働き始めたことは自分にとって大きなチャレンジでした。

不本意ながら脱会社員

不妊治療と適応障害をきっかけに退職

会社を退職したきっかけですが、激務と人間関係により適応障害になったことでした。

不妊治療を初めて半年以上経っていたこともあり、「このままじゃ子どもできないかも。そもそもどんな生き方がしたいんだ?」と不安や焦り、悩みが大きくなっていたことも大きな要因だと思います。

あの頃は本当に病んでいて、自分のことも軽んじていたし自分の凶暴な面も現れていました。やばいエピソードはいっぱいあるんですが、文字にしている途中で消しました。

主婦生活

そんなこんなで、一度主婦になり、失業手当をもらうためにハローワークへ通っていました。

せっかく辞めたのだから不妊治療を優先しようと、それが自分の生活で一番大切なことと据えていました。家庭のために、自分の好奇心や向上心にフタをして、体調管理と病院通いを大切にする。自分の人生じゃないような、寂しい感じがありました。

これまで頑張ってきたのに、キャリアアップのルートから外れてしまい、今まで頑張ってきたのってなんだったんだろう?とも思っていたし、なんで女性側が不妊治療こんなに大変なんだろう?と不公平感もありました。

今となっては、この時期に自分の身体と心を見つめ直せたことは良かったなと思えるのですが、渦中のときはちょっとした絶望感がありました。

自分の強みを活かしたい!けど……

能力はあるのに、大きな歯車に関わり過ぎたおかげで一人で食べれる力はない。これほんとあるあるですよね!? 「結局自分は何もできないじゃないか」という自分を責める声と、「けれども自分の能力に自信がある気持ちもある。こんなんでくすぶっていていいのか?」と自分を信じてあげたい気持ちで葛藤していました。

きっと今、企業にお勤めの方や公務員の方で同じように悩んでいる方もいらっしゃるのではないかと思います。

先人が作ったものに飛びつくのではなく、自分で道を作ってみよう

自分の能力を信じたいならば、安売りはせずに自分の道をチャレンジするのがいいと思っています。

私は自分の経験やパーソナリティが活かされる仕事がしたいと思い、たまたまコーチングを選びました。キャリアコンサルタントとかも良かったなと思いますし、他にも色々あると思います。

例えばとりあえず簿記の勉強する……とかは、結局型にはまった仕事をすることになるので、それでいいのか?という疑問が残ります。高学歴、大企業の人は何か枠にはまることが癖になってるところが少なからずあると思います。

もしその生活が辛くて抜け出したい気持ちが生じているのであれば(あるいは色々あって抜け出し済みなのであれば)、先人が資格にしてくれた内容を勉強すれば安心かも!と飛びつくのではなく自分が道を作るぜ!くらいの気持ちでチャレンジしてみるのも良きです。

それは、自分にはまだない能力を育てないといけなくて大変なこともたくさんあると思いますが、進んでいるうちに、今すでに持っている能力の高さが活かされてきます。 これは自分の経験から、断言して言えます。

まとめ

あまりまとまりのない文章にはなってしまいましたが、自分のキャリアのご紹介でした。

今は個人事業主で、納得感のある仕事ができていることがとっても楽しいです。みなさんも是非、自分の強みや良さを生かして日々を楽しんでくださいね。

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